今日、明日、この先へ。 祈りの中の「金」とは。−2−
2021.03.02
人類の歴史の中では祈りの場に金があり、私たち祈る側は、金が特別な空間や空気を演出していることを無意識で感じているのかもしれません。
では、仕事として金を扱う人たちは、何か感じているのでしょうか。
今回は、LOTUS memoriesを手がけていただいている2つの工房で、金という存在について話を聞いてきました。
最初に訪ねたのは、仏壇仏具に金箔を押す工房です。
祈りと金が近づいたのは、自然な成り行き
京都には、仏教や仏教文化の拡がりと共に金箔を扱う技術を現代まで継承している職人がいまも脈々と、伝統の技を伝えています。そのひとつ、「京金箔押 常若」を主催する藤澤 典史さんは、仏壇や仏具、漆器などに金箔で装飾を施す技術「金箔押」の職人です。現在は京都市内の片隅に工房を構え、仏壇や仏具のみならずファッションアイテムなどにも金箔を押し、金箔の可能性をより多くの人に知ってもらう活動もしています。
藤澤さんは職人として独立したのち、金箔にもっともっとこだわりたいと考えると同時に、工芸としての金箔に危機感を感じたと言います。
「職人として、金箔の魅力も大切さも、必要性も感じています。しかし私が主に扱っている仏壇・仏具の分野では、金箔の需要が減少しています。この伝統と技術を残したい。だから伝えなければ、と考えています」
残したい、伝えたいと感じている金箔の魅力とは、「誰にでも愛されている存在」にあると藤澤さん。「エジプトの王の時代から現代まで、祈る、信じるという場には必ず金がありました。世界中どんなところでも、そのような場と金はセットですよね。現代でも宝飾品には金が欠かせないですし、愛されています。金のどんなところがというより、美しくて貴重だから愛されているという事実こそ、金の魅力を表しているのではないでしょうか」
かつての仏教寺院の本堂は薄暗く、灯りは蝋燭や行燈程度。それで室内を明るくするために襖などに金箔を施し、灯りの照り返しで室内を明るくしたそうです。もちろん、その場の仏具に金が輝いていれば、特別な意識も芽生えたのではないか、との藤澤さん。
「それに、仏壇や仏具は、仏教における極楽浄土の再現という側面があります。薄暗い本堂で仏像や仏壇、仏具が金に輝く風景を見てきた流れでは、極楽浄土の再現に金を用いることも自然な成り行きだったのだと思います」
人の心とつながるために、金箔を押す
一部では贅沢品として金を捉えることもありますが、金はそのようなものではないと藤澤さんは言います。「祈りの場に金があったことは歴史が証明しています。だから金とは贅沢や権力のためのものではなく、本来は祈りや神聖なもののためにあるのだと思うのです。私の金箔押という技術は、これまでもこれからも、そのためにあり続けたいですね」。
藤澤さんによると。本来の金はキラキラとしているのではなく、落ち着いた輝きが特徴。そして、その本物の輝きを金が放てるかどうかは、職人の技量にかかっているとも…。同じものをたくさん生産する「製品」ではなく、あくまで工芸品として、これからも藤澤さんは金箔を押し続けます。
「金箔を押すことで、祈りの対象と祈る人とをつなぐ。それが金箔押職人としての自負です。金は使い方次第、職人の技術次第で下品にも見えてしまいます。例えば仏壇を開いた際に、金本来が持つ落ち着いた輝きがパッと現れたら、そこに神聖なものを感じるのではないでしょうか。つまり私は、手元供養のための祈りの対象と、その前に立つ人とをつなぐために、LOTUS memoriesに金箔を押すのです」
生活の中に金があることが、暮らしをどう彩るのか、人の心に何をもたらすのか。そこを考え続けることも、金箔押技術の継承には欠かせないと藤澤さん。「老舗の店の看板文字に金箔を押すことで“箔が付く”という言葉が生まれました。ゲン担ぎのような感じですが、要するに金の存在は、人の心の問題とセットだった、ということでしょう」。
私たち人間の心とずっとつながってきたからこそ、祈りの場に金があることが不可欠になっていったのかもしれない。藤澤さんの言葉で、そう気づきました。