今日、明日、この先へ。 祈りの中の「金」とは。−1−

2021.02.20

祈る人々の場に、なぜ金箔なのか。

 

祈りについて、その対象となる「物」のことを考えて見ると、そこには金箔が施されている物を多く見ます。仏像や仏具、法具、もちろん仏壇にも、金箔は欠かせません。そもそも、金はなぜ祈りの場にあるのでしょうか?

 

金の歴史を遡ってみると、もっとも古い使用例はエジプトで、紀元前2500年頃にはすでに金箔が存在していたことが、出土品からわかっています。有名な王家の谷などで発見されたものには、時の王たちが身につけた黄金の装飾品がたくさんあり、中には黄金の棺もあります。この頃は金が権力の象徴だったと言われており、また、古代エジプトでは太陽信仰が盛んだったことも、王が金の装飾品を身につけていた大きな理由のようです。

古代エジプトの太陽信仰では、金は太陽神であるラーの身体の一部だと考えられていたそう。そして王は祭祀を司り、神に近い存在としての側面もありました。神に近いからこそ権力を持ち、祭祀を司るからこそ太陽神の一部である金を身につけたのかもしれません。

 

仏教文化・美術を支えた金箔職人。その伝統を現代に。

 

さて、時は移って日本。金がこの国で最初に使われた記録としては、7世紀末から8世紀初頭のようです。奈良県明日香村のキトラ古墳には、金箔で星が描かれています。その後、物に金を施す技術が本格的に日本に伝わるのは飛鳥時代。仏教彫刻や仏画の技法とともに、朝鮮半島より日本に伝わったようです。

奈良時代に入ると、寺院建築や仏像に金箔が多く使われるようになりました。この頃にはすでに、金の存在は人々が祈るための場にふさわしいと考えられていたのかもしれません。仏教文化や美術に金が欠かせない存在となったことで、金箔はその後の日本の美術・工芸にも大きく影響していきます。

安土桃山時代になると金箔は絵画や工芸にも使われるようになりますが、絵画も工芸も仏教文化の影響を色濃く受けていることを考えると、使われるようになったのは自然の流れだったのでしょう。

 

 

 

ところで、日本で仏教文化・美術が最も盛んだったのは、やはり京都でした。だから街には今も、伝統の技術で仏教文化を支える職人さんがいます。多くの職人の中には金箔に携わる方々もいて、LOTUS memoriesはその金箔職人の方々にプロダクトの製作を依頼しています。

「祈り」の場には金が欠かせないことは歴史を遡ると自然なことのように感じます。これを祈りの文化と捉えるならば、次世代やその先に祈りの大切さを伝えていくために職人の技が絶えてはならない、と私たちは考えています。だからこそ、金箔職人の技で、現代の暮らしに合う祈りのカタチを生み出したい。宝飾品ではなく、仏教文化の中の金を専門に扱う技術と心を受け継いできた職人は、祈りの場にふさわしい輝きを表現できます。その美しさこそ、心で向き合い、祈る場にふさわしいのではないでしょうか。

Translate »