暮らしのなかの「祈り」の姿。
2020.11.26
私たち日本人の心には、恐らく潜在的に「祈り」の気持ちがあると思いませんか? いただきます、ごちそうさま、ありがとう、などなど、日々なにかに感謝をする、これも「祈り」のひとつの形だと言えるからです。
とはいえ、「祈ること」は今、どのように考えられているのでしょう?
それを知る手がかりにするため、11月6日〜10日に、WEBアンケートを行いました。今回は、その結果をご紹介します。
祈りは、他者へ思いをはせること。
アンケートは、関東と関西の20代〜60代各男女40名、計200名を対象に実施しました。
まず聞いたのは、「祈り」という言葉のイメージです。
大きな差ではありませんが、「祈りとは誰かのことを思うこと」と55%の人が回答しました。また「これからの時代に祈ることが必要」と回答した人も半数強。
いきなり話が逸れてしまいますが、イギリスのチャリティー団体Charities Aid Foundation(CAF)が2009年から毎年実施している調査に“WOLRD GIVING INDEX”というものがあります。助けを必要とする見知らぬ人を助けたか、宗教団体や政治団体、慈善団体などに寄付を行ったかといった設問への回答から、人助け指数や寄付指数を導き出しています。その結果は毎年ランキングとして発表されており、2019年10月にはスタートから10年分の結果をまとめた“Ten years giving trends”が発表されました。そこでの日本のポジションはというと、なんと126カ国中107位。この結果から、日本人は人助け指数が低いと言われることもあるようです。
なぜこの話をしたかと言うと、今回私たちが実施したアンケート結果では、誰かのことを思って祈る心を人々が持っているということが見えました。つまり人助け指数が低いという調査結果があるからと言って、他人を思っていないわけではない、ということです。
祈りは、時間を必要とする。
次に、祈る時間を暮らしの中で持っているか聞きました。1割強の人が朝、祈る時間を持っていると回答した反面、残念なことに、7割以上の人が祈りの時間を持っていないとの結果も。祈りが必要だとは理解していても、そのための時間が持てない、持たない。
日々の忙しさが原因でしょうか? それとも心のなかで思っているからわざわざ時間を設けるまでもない、ということでしょうか…。
祈りにはそのための時間を必要とすると考えているから、持っていないという事実をわかっている、とも考えられます。
祈りは、対象が必要?
さて、LOTUS memoriesは、手元供養の新しいカタチを提案するプロダクトです。
そこで後半は、祈りの対象物について聞きました。
生活様式や住まいの形の変化から、仏壇や神棚を持たない人がいるとは言われていますが、仏壇、神棚やそれらとは別の対象について、持っていると答えたのは仏壇の24%が最多という結果でした。
しかしこれは、宗教心や祈りに対する心が失われていっているわけではないようです。理想とするサイズを尋ねたところ、具体的な大きさよりも「できるだけ小さいもの」と答えた人が圧倒的に多かったのです。
つまり住まいに置き場がないことが、仏壇や神棚など祈りのための対象を持たないことの最も大きな理由だと考えられます。
そういえば日本の仏教の歴史を辿ると、仏教が伝来した頃から「念持仏」という対象が存在していました。お寺に安置されているのは本尊と呼びますが、念持仏とは本尊と対象的に、私的に拝むための小型の仏像もしくは、仏像を安置した厨子などのことです。
この念持仏の中で最も小型のものは、「守本尊(まもりほんぞん)」とも呼ばれ、旅に趣く際には懐などに入れて持ち歩いたそうです。10㎝に満たないサイズも多かったとか。
祈りは、…人それぞれ。
最後に、今回のアンケートで皆さんに聞いた「祈りとは?」の回答をご紹介します。いくつかを以下に並べて書きましたが、人それぞれに祈りへの思い、祈りの姿があると感じられます。
「祈りを身近に感じたことはない。でも、感謝することだと思う」
「何かに頼りたいときに祈る。祈る対象は支えでもある」
「あいさつのつもりで、毎朝祈っています」
「祈る時間や所作を取らなくても、心の中で思っていれば、それでいい」
「祈ることで考えが変わる、他人を思うことができる」
「祈りは自己満足かもしれない」
「祈りがないと、1日が始まらない」
「考え続けることが、祈ること」
「祈りが今の時代に必要かは分からないが、それは希望だと思う」
「言葉にできない思いを伝えることが祈り。自分の心に言い聞かせることも祈り」
・
・
・